誤字とコミュニティー

 最近、2ch用語なのか誤字にあう事が多い。語幹と文脈からわかる事もあるけど、何を意味するのかわからない事も多い。「綺麗で正しい日本語を使おう」と言いたいところだけど、それは「私にもわかる言葉を使ってね」と言っているだけだから、恥ずかしくていえない。まあ、何処かに綺麗で正しい日本語があるとは思うけど、私が使っている言葉だって、年上の人には通じない事もあるので、世代のギャップ、私が歳をとったという事だと思う。
 特定のコミュニティーにのみ通じる言葉や仕草というのは、そのコミュニティーに所属しているという実感をわかせるので、強い連帯感が生まれると思うけど、その分だけコミュニティーを一般との壁を隔ててしまうような気がする。言葉の通じない集団はやはりごく普通の人が入り込みにくいので、コミュニティーが拡大するのを押しとどめてしまう事になりかねない。広がりを持たせようと思うなら、コミュニティー特有の言葉を使わないようにするか、その言葉をきちんと説明するかだと思う。実務レベルでのコミュニティー特有の言葉なら説明も容易いが、深い意味のない言葉を説明するのはとても難しい。
 特定の言葉や仕草によって連帯感を持ったコミュニティーは、その言葉や仕草をコミュニティーに取り入れた人を中心に階層構造を成す事が多いように思う。面白い事を言ったりやったりする人の周りに取り巻きが出来て更にそれを楽しむ人垣ができるようなものだと思う。路上でのパントマイムのように、観客に対して同じ距離を保つのなら、それは二段階の階層で済むが、人間関係の複雑なコミュニティーだと階層も複雑になりがち。そういったコミュニティーで一般の人が入り込むと、中心人物との距離からより一層の疎外感が生まれる。中心人物(複数人の場合もある)がコミュニティーの構成メンバーと平等に接触すれば解消されることだが、コミュニティーが拡大すれば、それも難しくなる。
 コミュニティーに参加する意識にも違いがある。特定の言葉や仕草を真似する事で参加した気分になり満足する人もいれば、より深く、階層の高いところへ行こうとする人もいる。自分が中心人物(のひとり)でないと満足できない人もいる。中心人物になってしまうひともいるが、そういう能力は多くの人が持っていない。コミュニティーは中心に行けば行くほど楽しそうに見えるから、多くの人は自分の能力の許す限り中心へと向かうように思う。そして、自分の場所を確保して満足する。他のヒエラルキーでもっと高い位置にいれば、自分の場所に満足できずに、コミュニティーを去る事も十分考えられる。
 中心人物が沢山いれば受け皿が広くなるのかといえば、単純にはそうではなくて、結局のところ中心人物同士でヒエラルキーがあるから、思ったような広がりはない。実際には1割程度の拡大にしかならないと思う。
 私はコミュニティーに参加する事が得意じゃない。そのいいわけを連ねてみました。負け惜しみとも言います。

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