インターネット、社会、文化、サービス:下らない話と天才を生む土壌

インターネットがマスコミと対立する今の世の中は、一つの理想的な未来なのかもしれないけれど、それは収益性を考えた場合の経済的な対立の一つの側面で、新聞、ラジオ、テレビがそれぞれ取って代わられた事を考えれば大きな事ではない。
結局のところ報道の中立性は経済原理に破られる運命にあって完全な客観的独裁以外では破ることができないのだから。
インターネットの相互通信性も常に言われ続けているけれど結局のところ手紙や電話の利便性に取って代わる程度の効果でしかない。もっと言うならば完全な相互通信を社会に浸透させるには、人間は悪意や偏見がありすぎて相当難しい。実際に閉じられたインターネットであるSNSが持て囃されている。人間関係と人間の処理できる情報量には限界があるから意識的に制限するのはわからないこともないけど。
インターネットの記録性にも疑問がある。全てのコンテンツの情報を常に記録しつづけるには経済的な限界があるし、完全な客観性がないままに取捨選択を行う意味があるとすれば現在の報道の延長線上と何等かわりがない。代表的なウィキペディアも編纂作業が特定の偏見をもって行われている。
記録されたものが書籍からデジタルヘ代わることで検索性は高まるが、必要な情報が人の脳内にあれば検索の手間はいらない。一つの事を導き出すのにどれだけの情報が必要かという議論になるけれど、インターネット内の全ての情報が必要なわけじゃないし今までもインターネット無しで人間は発展してきた。
結局のところインターネットとは何なのかと言うと、くだらない情報をたれながすシステムではないだろうかと思うわけです。くだらない情報のなかに重要なものが隠れてるとか繋ぎ合わさることでくだらない情報が生きてくるとか、そんな有用なことでないし、馬鹿話が人を和ませるとか、実用性の高い話でもないです。
人間は発展する上で効率性とか現実性とかを手に入れることで経済というシステムを構築しました。その経済社会のなかで取りこぼした人間性を宗教とか社会規範で補っています。でも補った社会規範や宗教が現在の壁となって紛争をおこしている原因ともなっていて、人間には制御できないシステムを経済社会の裏側で構築してしまっています。
今存在する文化というものを定義することはできても、それをシステムとして理解し制御することは人間にはできません。
しかしインターネットには大きな文化の流れがあるような気がします。文化が形成され浸透し定着し新しい文化に上書きされて行く様を記録できるチャンスでしょう。ただし人間に制御できる代物ではありません。
ここで論理の飛躍があるのですが、私は天才というものは文化的な土壌の元に創られるのではないかと思っています。天才の発想には飛躍があり、それを埋める論理があって初めて発見がある。
2ちゃんねるとかツイッターとかyoutubeとか個人のブログとか大小の掲示板とか、くだらない情報で溢れているのがインターネットです。それを有用な情報にしようと努力したり効率のよいシステムを構築しようとしたりすることは素晴らしいことだと思いますが、ゆらぎであったりゆとりであったりと言った理論や思想の断片がインターネットには眠っている気がします。
言葉にするとたわいもない事なのですが(笑)。
そして携帯端末はくだらない情報のやりとりを加速する装置です。
もうひとつ人間が越えられない進化という壁は宇宙にあると私は信じています。今西進化論信者なので(笑)。
レンズマンもジェダイもニュータイプもスーパーマンも宇宙にある、ついでにマトリックスの救世主もターミネーターもミトコンドリアも。早く宇宙に住みたい。
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