Googleと政治と宗教

 「アクトビラをけなすページはGoogleから排除される!?(http://d.hatena.ne.jp/wa-ren/20061009/p2)」「「Google八分、知ってますか?」眞鍋かをりが“国策検索”アピール(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/05/news092.html)」「Google八分を批判する情報大航海プロジェクト(http://slashdot.jp/articles/06/10/06/0827237.shtml)」「ウィキペディア「山谷えり子」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B0%B7%E3%81%88%E3%82%8A%E5%AD%90)」「参議院から内容削除が相次ぎ編集保護になったウィキペディアのページ(http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/#yaji061004)」「「安倍内閣+統一協会」リンク(http://beyond.cocolog-nifty.com/akutoku/2006/10/post_fb5f.html)」「山谷えり子議員を知ろうとすると「グーグル八分」が(http://beyond.2log.net/akutoku/topics/2006/1002.html)」という記事を読んでちょっと考えてみた。
 結局のところこの記事群は「Googleも何らかのプレッシャーを受ける場合がある」「政治家が何らかの形で海外の大手検索サイトにプレッシャーをかけた形跡がある」ということだと思う。記事にするからには何か言いたい事があるのだと思う。
 インターネットは自由な空間だ、という認識が広く行き渡っている、と私は思っている。この自由は「他のサイトを拘束しない自由(犯罪を除く)」も含まれているわけで、Googleは企業だし、結局のところ儲かれば何だってやる、と言うことじゃないだろうか。政治家だって有権者に対する自分のイメージを保つために何だってやるのは、誰もが知っている。ウィキペディアもボランティアであるがゆえに不完全であることが前提になっている。世の中は完全なものはないし、私はそれでいいんじゃないかと思って使っている。国策によって検索を歪められるのは、先々で不便だろうけど、そんなものはいくらでも何とでもなる。不便だからと言って新しい検索サイトが必要だとは思わない。国が本気を出せば、新しい検索サイトだって介入してくるだろうと思われるから。
 まあそんな風に思いました。実際に私もこの記事を読むことができたしね。


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