ネットの今、アニメの今

 とてつもなく気になっている記事が二つあります。
 一つは「mixi読み逃げ騒動」でもう一つは「大分銅像ガンダム騒動」です。この二つは騒動の規模も違うし内容も異なるんですが、共通点として「文化」に関わるんじゃないかと感じたからです。
 「mixi読み逃げ騒動」は「mixi、コメント、次に流行る?:「mixiの日記読み逃げ禁止」に関する続報と「交換日記ブログ」(http://shonenalice.seesaa.net/article/36552478.html)」「話題、たばこ、詐欺、個人サイト、読み逃げ:「全席禁煙」「訴訟メール」「読み逃げ」(http://shonenalice.seesaa.net/article/36470182.html)」という形で二度このブログで書きましたが、鎮火する様子が見られません。相当な違和感を持って世の中に伝播しているんだと思います。
 この読み逃げ的発想の根源は何処にあるかと言うと日常会話にあるのではないかと感じました。女性社会、という言い方が正しいのかどうかはわかりませんが、私のイメージする女子高生や主婦などの集団で、会話をするときに何も発言しないというのは、結構根性の要ることで、同意なり反対意見なり、何か発言しないといけない文化、発言を強要する文化というものが、日本の社会の中に潜んでいるのではないかと感じました。
 「サイレントマイノリティー」とか「サイレントマジョリティー」とか社会学ではモノを言わないことも意思表示とみなされていますが、それは大きな社会でのことで、小さな村社会では実はサイレントが許容されないのではないかと感じたわけです。
 小さなコミュニティーの中では顔を合わせれば挨拶をするというのが、最低限の礼儀だったりするわけですが、大きなコミュニティーになると「ご近所付き合いとして」「知っている人に」挨拶をするというのが礼儀になったりするわけです。ネット社会と言うのは根本が巨大なコミュニティー、もしくは多くのコミュニティーの集合体であるから、小さなコミュニティーの理論が通じにくく、「独自のネット文化」が発展したわけですが、ここに来て小さな社会を作る方法が提示されたのではないかと私は思います。今までもチャットであったりメーリングリストであったり会員制サイトであったり、小さな社会を作る方法はあったわけですが、独自ルールとしてコミュニティ内に封印されていました。mixiはそれを曝してしまったのでしょう。
 私が「女性社会」と言ったのは、今まで日本社会の地域コミュニティは日本文化の中で女性が支えてきたという印象を持っているからだし、今、ネットの中に地域コミュニティを支えてきた女性文化をしっかりと持った人がどんどん参入しているからではないかと思います。
 力関係如何によっては、日本のインターネットコミュニティーは、巨大な村社会になりうるのではないかと、思いました。
 「大分銅像ガンダム騒動」は「【大分】 誰がいたずら!銅像が金色に、肩には漢数字の「百」 (http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/941701.html)」を見るとわかると思いますが、大分の高校に置かれている裸体銅像が金色に配色され肩の位置に「百」と書かれていたことで、ガンダム百式を連想し、オタクが楽しんでいるが、実は器物損壊という犯罪であり楽しむべきものではないという話です。
 別に器物損壊の話ではなく、ガンダムというアニメ文化の象徴みたいな作品のネタがわからない、騒いでいる奴がキモイという発言と、それに対して犯罪だけど面白いという肯定的に見ている人との対立が気になったのでした。
 麻生大臣がアニメの「ローゼンメイデン」というタイトルに言及したことで「ローゼン閣下」と呼ばれ、2ちゃんねるを擁護するかの発言にネットの特に「2ちゃんねる」ユーザーから猛烈な指示を受けていたり、アニメを日本文化の一つとして育てるという方向性を打ち出しているということは、社会がアニメに傾いているということだと思う。
 日本社会がアニメに傾いているというのはつまり、ガンダムぐらいのアニメは「常識的に知っている」という社会に向かっているのではないかと思う。極端な話を言えば、学校で文学を勉強するようにアニメの内容を勉強し、「百式」がいかなるものかが常識化し、もしかしたら「百式を知らないオトナたち」みたいな本が出版されるような社会が来るのかもしれない。夏目漱石の「ぼっちゃん」の一文を諳んじて「夏目漱石オタク、キモイ」と言われないように、ガンダムのキャラクタのセリフを諳んじても「オタク、キモイ」と言われない世の中が来るのかもしれない。
 私はそういう社会が来ても良いと思っています。別にアニメが文学を駆逐するとは思ってませんし、いろいろな意味で共存できる環境が着実に整いつつあると感じています。
 まだまだ芽が出たばかりのアニメ文化ですが、これだけ話題になるだけの力があるのですから、文化としてしっかりと定着するのはそう遠くない未来なのかもしれません。

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