先ほど(http://shonenalice.seesaa.net/article/18980007.html)「ツン読」と書いたが意味的には「わたしは読まれなくたって気にしないんだから」と、ツンデレキャラのように本が自己否定的な自己主張している事を指す。
積まれている本の事を「積読」と言う。積まれている本は本来、読まれることを待っているはずなのだが、そこはそれ、今時の本は、ツンデレなので読まれたいと言うことを隠すかのような表現によって、自己をアピールするのである。まったくもって面倒である。
本がこのようなキャラクターを獲得したのは、現代の読書率の低下と、インターネットの普及によって紙媒体での文字を読むという習慣が失われつつあるという根本的な原因もさることながら、情報伝達が文字以外の画像や音声他、いろいろな媒体を通るようになって久しい中で、自己主張の方法を模索していた彼ら(もしくは彼女ら)がたどり着いた湾曲したひとつの形であり、それは、今オタクの中で「ツンデレ」が流行っているからと言うわけでは決して無い、と私は信じたい。
本は本来、ツンデレなのだ。愛されることを誰よりも待っている。待つことができる、もしくは待つしかないからこそ、本はツンデレにならざるを得なかったとも言えるかも知れない。
「ツン読」の意味
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