「ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない(http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20090621/p1)」というエントリーが話題の様子。読んでみたのだがボリュームがあるので自分なりに引用しつつまとめてみた。
「エリートがいなくても、この社会は十分に維持・発展できるし、むしろ、エリートの存在は、人々の総幸福量を減少させる害悪かもしれない」という主題を「「起業家」という社会装置」を例にとって言及している。
「生活を便利にするような新規サービスを開発するには」、「失敗したときのリスクを負う覚悟で自己資本を投入して起業する人間が必要」であり「若いうちに起業のための自己資本を蓄えられるようにしておく必要」だから「より仕事のできる人間により多くの資本が分配されるような社会システムになっているのは、社会が富を創出するためのインセンティブ設計の都合も大きいけど、社会装置としての資本機能の都合も大きい」
しかし「「所得や資本蓄積の格差」は人々の生活を支える「起業家」という社会装置を生み出すのに必要だが、「偉さの格差」は必ずしも必要ではない」から「自分の偉さを徹底的に無化する起業家だけをネットが受け入れ、それを行わない「エリート」を徹底的に誹謗中傷揚げ足取りをし叩きつぶすようにしても、腰の低い起業家、経営者、実務家たちによって、社会インフラを支えることは可能」
「ネットの誹謗中傷揚げ足取りや炎上は、そのような機能を持った社会装置」「「学者」、「研究者」、「政治家」、「官僚」、「ジャーナリスト」、「マスコミ」、「医者」、「弁護士」、「経営者」、「思想家」、「評論家」など、「偉さ」を過剰に保有しがちな他の社会装置についても、ほぼ同じ」としている。
「組織の上下関係をそのまま「偉さの序列」に転化することは、企業が社員を馬車馬のように働かせるための手段になっている」
「「偉い」人間を、「公衆の面前で」、「いつでも」、「気軽に」、思う存分こき下ろし、馬鹿にし、見下すことができるのは、唯一、Webという社会インフラによってのみ、可能」「記事作者と信頼関係にない全くの第三者が、記事作者の意向を無視して、強制的にコメントを付け、しかもそれをインターネット全体に公開されたコメント一覧画面で、大勢の人に向かって「放送」できる仕様になっている場合だけ、権力解体メカニズムが機能する」
「「偉さ」への執着を捨て、淡々と自分の役割を果たしていくことが、Web時代に求められる生き方」とのこと。
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お金を儲けるためなら何をしてもいい、という社会風潮が今までのモラルと社会構造を壊したと思う。男女の格差とか、終身雇用とか、左翼も右翼も平等に自分の思想に基づいて社会を壊した(右翼は保守だけれども社会全体を今のままにすると言うより、新しい世界に対応して今の社会の階層構造を壊さないように変更する革新保守)。
新しい社会のモラルがWebの中から「権力破壊装置」として発生しているとしたら一つの形ではあると思うけど、江戸時代の一揆や打ちこわしみたいなものだとしたら、対抗策を取られてしまうのではないか。
人間の知恵というのは、物理法則から逃れられないけれど、抗うように働いていると思う。
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それよりも、こういった議論がインターネットを通して手軽に手に入るというのが素晴らしいことなのかもしれない。
未来、社会基盤、平等、資本、エリート:「ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない」
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“未来、社会基盤、平等、資本、エリート:「ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない」” への1件のコメント
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人が出せるアイデアは多くても一つかもしれない。そうすると「次の新しいサービスを提供する資金」は必要なのか?
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