科学、時間、エントロピー、ソーカル、知の欺瞞:「時はなぜ一方向なのか」「ソーカル事件」

「【物理】時はなぜ一方向なのか-観察者問題から説明(http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1252294821/)」という記事があったので読んでみた。
とても難しく書いてあるけれど、要するに「閉鎖された相互作用のある世界の中にいて時間を戻すということは記録も戻すということになるので、時間を戻したとこが認知されない」ということ。
もっと簡単に言うと「時間を戻すとあったことを忘れるから戻したことに気がつかない」という事で、長々と論文に書くほどの事かなぁと疑問に感じました。
あえて可能性を感じるならエントロピーが不可逆で時間も不可逆だということを結びつけた点でしょうか。
で、この記事の中で「ソーカル事件」という話題が気になって調べてみました。
「ウィキペディア:ソーカル事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6)」
「ソーシャル・テクスト事件からわかること、わからないこと(http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/norettaJ.html)」
「きみはソーカル事件を知っているか?(http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html)」
「ソーカル事件と『知的詐欺』以後の論争(http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Sokal/index-j.html)」
「ソーカル事件」とは要するにソーカルという物理学者が適当な数式を使って擬似哲学論文をでっち上げ評論雑誌に送ったところ、掲載されてしまったという事件のこと。掲載されたと同時に論文の内容が偽物であるとソーカルが発表し現代思想の批評として使った。ちなみに1994年の話なので15年も前の事件だ。
権威とか肩書きとか複雑な数学理論とか難しい言い回しの特殊用語とか、人は未知なものに騙されやすい。宗教だったり、新製品だったり、マニュフェストだったり、似非科学論文だったり、某掲示板のスレッドだったり、このブログだったりするわけだけど、文字や数字や計算式などの記号のかたまりは無駄なものが付きまといやすい。
本来は、ある論理が正しいかどうかを学者が精査する社会的役割を担っているのだと思う。新製品の効果が正しいのかどうか、マニュフェストで主張していることが本当に実現可能なのかどうか、等は純粋な利害関係の無い視点からジャッジがされるべき事柄で、「やってみれば結果がわかる」的な事が危険な場合もある。
ところが、ジャッジする学者が信用がならない、としたら、何を信じていけばいいのか。大風呂敷を敷くのなら、「ソーカル事件」とはそういった学者のシステムに問題を抱えているという批判なのだと思う。
数学も科学も経済学も統計学も宗教だから、仕方が無いことなんですけど。


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“科学、時間、エントロピー、ソーカル、知の欺瞞:「時はなぜ一方向なのか」「ソーカル事件」” への1件のコメント

  1. 文理両道のアバター

    ほくそ笑むソーカル

     最近、ツイッターで少し実験的な遊びを始めた。適当な時に流れてきたTLの中から上から順番に言葉を抜き出し、並べて詩のようなものを作るというものだ。ルールは簡単。
    1.TLのツイートの上から順番に言葉を選んで、決して飛ばさないこと。
    2.それぞれのツイートから、単語や短い言葉を一つずつ選び出す。助詞が入っても可。
    3.句読点は、選んだ言葉を改変しないところなら、自由に打って良い。
     やってみると、これがなかなか面白い。既にツイッターでも紹介しているが、作例をいくつかあげてみよう。
    【作例1】
    八重洲の予定,環境不適合。引越ししました、欧州もここまで。 さかのぼれない、春節あけの週。暦通りにございます、今朝の東京は曇天。おかしい、午後から晴れるみたい。選択と集中、心にとめて。エースと一緒、単なる衰退産業。
    【作例2】
    ノロウイルスは、ピンチをチャンス。俺漏れてるよー、ようがんばった。一応広報が、年間飲み代120万。わしが子供のころは、たくさん、たくさん。千円ぐらい消えた、有難う御座います。
    【作例3】
    デンスケ不感症、最高のホテル。息子と湿地フォーラム、説明責任。おお!蘇生なう、100%以上。問題が何とかなる、編集部員。柔軟な賞味期限連絡します。
     私はこれを「TL詩」と名付けたが、実際やってみると、「詩」というよりは「ラップ」に近いものになった。適当に言葉を選んで、並べただけなので、本来これに意味なんてほとんどないに等しい。しかし、面白いのは、読んでみると、なんとなく全体で深い意味があるように感じてしまうことだ。
     これで思い出すのは、有名な「ソーカル事件」である。ニューヨーク大学の物理学教授だったアラン・ソーカルが、意味を理解しないまま科学用語を自らの権威づけに使用している当時の人文評論家を批判するため、科学用語や数式をちりばめたデタラメな哲学論文を権威ある評論誌に投稿したところ、見事に掲載されたという事件だ。
     しかし、振り返ってみれば、こんなことは案外多いのではないかと思う。文化人と呼ばれる者たちが、やたら、難しげな言葉を並べたり、専門用語を連呼して、読者を煙に巻こうとしているような文章にお目にかかったことはないだろうか。そんな場合、善良は人間は自分の能力に疑いを持ちがちだが、決してそんな必要はない。本当に能力のある者は、論理的で分かり

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